カレのファンになった日はハレ

 

大前提として私はジャニヲタだ。‪

今までも、そしてこれからも変わらない。
永遠なんて無いけど少なくとも今見えている近い将来まではそう。
私の担当はあの子で、それは揺るがぬ事実。

 

はい、ここからが本題


---------------

 

正直ね、仲田担じゃなかった‬(そして、今までも、これからも私が仲田担になる事はない。)そんな私が、あっさり"百名ヒロキさんのファン"になることに負い目みたいなものがあった。

 

‪ジャニーズという枠にいた時に何の疑いもなく「あなたが1番!」って叫べなかったのに簡単に「ファンです」なんていうのは卑怯なんじゃないかって。‬

 


それでも私は仲田拡輝が好きでした。
"私はね、仲田拡輝が好きだったよ。それだけ。百名さんがステージに立っているところを観てみたいと思ったのも事実。でも私が彼という役者を好きかどうかなんてのは現段階でわかる事じゃない。だから私は確かめに行く。ただそれだけ。"
これが観劇の5日前のツイート。
まあ、この文に思いは全部込められてるんだけど。

 


ボクハレを観るまでは確信出来なかった。

 

百名ヒロキという役者がおそらくとても魅力的で、もしかしたら自分は新たな扉を開けてしまうかもしれないということ。

 

もちろんそんな予感はしていたし、そのつもりでもいたけど、確信のないものを如何にも自分の思考なんて分かりきってるという具合に決めつけて後で苦しむのだけはごめんだった。
卑怯かな。卑怯かもね。

 

でも事実、今まではジャニーズの仲田拡輝しか観た事が無かったから。‬‪


彼を好きだと思ったのは紛れもなくジャニーズのタレントとしてそこに存在して、パフォーマンスを披露していた時だったわけだし。‬

 

‪いくら彼のパフォーマンスが好きだと思ったって、それは百名ヒロキではないから。


百名ヒロキはそれを持っていないかもしれないから。‬

 

‪よくよく考えたら彼のパフォーマンスの何が好きかなんて考えた事が無かったのかもしれない。
だって、無責任に好きなんて言うには、ただ好きだと思うには理由なんていらないから。‬

 


‪でもね、私がジャニーズをやめても彼を観たいと思ったのは他の誰でもなくヒロキだから。

 


‪過去ジャニーズに所属していた人物だから観てみたいではなく、ジャニーズに所属していた過去は彼を知るきっかけだったと思えたし、純粋に彼を観たいと思ったから。なんかうまく言えないけどさ。

 

(まあ、色々な事情はあると思うし、百名ヒロキとして新たな境地に足を踏み入れたのは事実、百名ヒロキとして0から始まったのも事実、でも彼という人間は確かにあそこに存在していた。彼も彼として生きているとは信じているけれど、お願いだからこれからも真実は真実として持っていてね。ひろきはひろきとして生きてきた。そしてこれからもひろきだよ。)

 

‪アンダースタディを観られて本当に良かった。

彼のストレートプレイを観たことがなければ百名ヒロキという役者に興味を持つ事も無かったかもしれない。
今でもドリグレを観に行かなかった事は残念に思うけれど、まあ、それは良しとしよう。‬

 


‪ボクハレを観劇してハッキリとした事。‬
私は百名ヒロキという役者が好きです。

 

 

ジャニーズの仲田拡輝は"いる"。
ファンの心の中に。
そして彼の心の中からも絶対に消えないでしょう?それは彼が積み上げてきた人生だから。


何度も生まれて何度も死んで、何度でも何度でも何度でも…でも思い出すことを許してくれるのは優しいね。
人の心の中で生きることを許容するのはとっても優しくてとっても強い。

 

話に戻ろう。


ごちゃごちゃした理屈は全部抜き。
紛れもなく好きな役者である、その事実だけでとにかくまずはファンとやらの一歩を踏み出してみようと思う。

 

 

久しぶりに見た彼の穏やかな目は忘れられない。
自分は何を難しく考えて、肩肘張っていたんだと、思った。
ただ存在しているだけで「ねえ、今何考えてる??」って考えさせられてしまう彼の表情が、雰囲気が好きだ。

 

たくさん泣きながらここに1人のファンが生まれた。

 


2017年7月16日!
私は百名ヒロキのファンになった。
その後にはおにぎりじゃなくてカレーを食べた。
ジリジリと暑い夏の日差しの中シアター風姿花伝に向かい、これから彼がもたらしてくれるたくさんの感情、素敵な作品を思ってボクハレを観た。
幸せだった。

 

カレのファンになった日はハレ

はじめての担降り

 
今更だし、またかって感じだけどハッキリ言っておきたいので許してね。
 
私、担当降ります。
 
誰の?って話だし、そもそも放棄してたじゃん、って話だけど。
 
いや〜、まさか私が担降りブログを書く日が来るなんて思ってもみなかった。
 
 
 
何というか、掛け持ち3人の時までは
「(みんなに同じくらい沸くし、CDやDVDはコンプするし)全員に100でヲタクやってるよね私」
って思ってたの。
 
でも推しが多くなるにつれてやっぱり全員に対していつでも100%(特に気持ちの面で)ってことはなくて。
 
それでもトータルすると誰が1番てのは判断つかなかったから、掛け持ちっていう立ち位置で暫くはいた。
 
 
でも100%じゃない時点で私の中の掛け持ちとしての定義は崩壊してて。
 
 
結局混乱したまま「だったら担当なんて制度やめてしまおう」って担当放棄を宣言した。
(過去に数度、掛け持ち宣言と放棄宣言を繰り返してます)
 
 
 
けどやっぱり気分は掛け持ちだった。
 
今日まで推しって呼んできた人たちが特出して好きだった。
 
ジャニヲタにとって、"担当"って本当に便利な言葉ですね。
 
だから便宜上とか断りを入れて、"推し"とか、たまには"担当"って言葉を出したりした。
 
 
でもね、もういつまでもそんな便利で曖昧な言葉に甘えるのはやめようと思ったの。
 
だから、初めて降りるって言葉を使う。
 
今度こそ本当の意味で担当制度を放棄しようと思ってる。
 
 
 
 
本当は現時点で、強いて1人挙げるならこの人かなってタレントがいます。
 
でも、どうしてもこれから先、長く、いつでも彼が1番でファンをやっていくって言い切る勇気が出ないのです。
本当にごめんね。
 
 
何だか嘘みたいで。
 
好きなんだけど、突然過ぎたから。
何が好きなのかも不確かで、もしかしたら気のせいなのかもしれないって思うの。
 
それは私が彼のことを好きになったのがあまりにも最近だからってこともあるし、本当は全然彼がどんな人なのか知らないから。
 
そして、ちゃんと考える前に好きだと言いすぎた。
 
だからイメージを修正して、やっぱり違うっていうのは怖くてちゃんと彼を見られていないかもしれないって思う。
 
 
今まで9年とかヲタクをやってきて1度もちゃんと担降りしていなかったように、好きと言い出したら引けない性格だから不確かなまま担当とかどうしても言えないの。
 
だけどやっぱり彼の存在というか、彼を好きになったって事実が私の中では大きい。
 
今まで推しとしてきた人達が、今、全員同じ熱量で好きかって言ったらもうそうじゃないのかもしれないって思う。
 
見たらやっぱりかっこいいし好きだけど、本当は過去の彼らとか、自分の中で積み上げた彼らのイメージが好きなのかもしれないって。
 
 
私は、最近好きになった彼に対して、もちろん新規だということもあるし、もともと流れてきた情報をすくい取ることはしても情報収集に精を出したりするタイプではないので、本当に無知です。
 
こんな状態で、果たして本当にファンと言えるのだろうか、と思うわけです。
 
でもね、ヲタクでいることに慣れすぎて忘れてしまっていたけれど「顔が好き」「かっこいい」たったそれだけで、ファンと名乗るだけの理由には十分なんじゃないか、ファンとアイドルの関係としては十分なんじゃないかってふと思ったの。
 
彼は(おそらく)こういう人間で、こういう時は(おそらく)こう思って、こういう行動をして(しがち)で…そういうイメージの蓄積は楽しいけれど、別にそれが無いからってファンとしていられないわけじゃないなって。
 
好きを手放さないとか、好きなタレントの情報を蓄積して彼という像を自分の中作り上げることに、なんだか必死になり過ぎてたかなって。
 
良い機会だから1度リセットして単純なとこからファンやっていこうって思う。
自由にヲタクやっていこうと思う。
 
なんだかんだ言ってヲタ活は趣味。
人生をかけてくれてる彼らにはには失礼かもしれないけど、ヲタクにとっては娯楽。
 
ならば開き直って全力で楽しく。
そして気楽に。
それが1番大切だと思うし、一周回って礼儀だと思うのです。
 
 
 
いつか、誰かの担当を名乗る日が来るかもしれない。
 
それは近い将来か、ずっと先のことか。
もはやそんな日は訪れないのかもしれないけど。
 
でもなんだか、いつかそんな日が訪れる気はしてる。
 
それは彼かもしれないし彼じゃないかもしれない。
 
それでもいいかなって。
 
 
ようやくここ3・4年ごちゃごちゃ考えていた自分の中の担当とかいう存在に区切りがつく気がします。
 
 
いつか自信をもって担当という言葉が使えるその日まで。
 
"担当"さようなら。